アマゾンのインターネットサーフィンをしていて目に止まりました。
予防が大事と言われていても、
その人自身が心から必要と思わなければその大切さは届かずに通り過ぎてしまいます。
勉強会などでは行動変容の難しさという言葉でさらりと表現されてしまいます。
私はそこになんらかの感情がこもっていないとうまく飲み込めません。
語彙が少ないのと抽象化が下手って事です。
色々な世代の変化を眺めてきているため、
どうしても最悪の状況にならない事を考えながら対処する癖がついています。
大学病院時代であった患者さんは、
若い頃にこれを知っていたらこんな病気にはならなかったと言われそれがどこか残っていました。
物忘れがあるわけでもないのに体がもうあちらに行くしかない状態でした。
お節介だお説教だと表現の仕方が稚拙なために、
届くどころか反感を買う始末でした。
医療に関わる人は自分よりも目の前の人のことを考える時間が長いです。
それが癖になっています。
現場の代わり映えのない診療時間の拘束と日進月歩が秒進分歩ぐらいのスピードで溢れ出る知識に追いつけ追い越せで、
時間があれば新しい月刊誌を手に取り勉強するのが当たり前です。
それもまだまだできないできないでやってきてしまいました。
私は自分の人生がズタボロになって、
やっと自分の方に目が向きました。
仕事の忙しさを言い訳にして、
振り返らずにきたみたくない自分のボロさが目の前に現れていました。
武部さんのアイディアはとても素晴らしいです。
ただ全てが生活者目線(医療を受ける側)へのサービスで語られていて、
医療者側のケアがありません。
患者さんの事を治療する前に本当は自分自身(医療者側)を見つめていたわらなければならないのです。
でもそのことをあえて言ってくれる人はどこにもいません。
みんな大人だからで終わりです。
若い時点で何か不幸や苦労を味わいしっかりとした忍耐力がついた人でなければ(自分軸で生きてる人)しらないうちに時が流れていきます。
医者だから自分で管理ぐらいできるでしょ?って手を離されます。
色々な人が存在するように、
完璧な人はいないです。
もっと人にたよることができたら良かったのかもしれません。
頑張ってエンジンふかすしか能のない馬車馬状態の私には、
人間的な幅がありませんでした。
一人前になる前になくなる先生もいらっしゃいました。
過労だからとその場限りの説明だけでは、
その場は丸く収まりますが何年経っても同じことの繰り返しです。
睡眠と栄養と運動もどの人にも必要なんです。
寿命100年時代なのに足元が栄養不足で揺らいでいます。
医療者側の努力だけではニッチもサッチもいかないのです。
最低限でも体を元気に維持することのできるシステムが過労死を生じやすい職場には必要です。
産業医の仕事がそれに当てはまるかもしれません。
大企業にお勤めの方は守られています。
自由業の方は自分が守るしかありません。
聞きたくない人は今は聞かなくていいから、
届く人だけに届けと書いています。
大学や病院で栄養学に毛が生えた程度のことを習ったと印象に残っているのは、
小児科の先生の脱水の授業(ウンチについての授業)のところと、
糖尿病内科ローテート中の血糖コントロールの食事指導でした。
タンパク質はとりすぎると腎臓に悪いというところから学びました。
正常値はあっても学ぶことは、
病態を悪化しないようにするための知識です。
実際血液検査で鉄分の貯金(フェリチン)がほとんどない自分に気がついたときは、
何やってんだ自分と思いました。
管理栄養士さんと同じようになることは無理です。
が、
自炊できる能力が自立するときは必要です。
外食だけではアウトです。
一番精神的に不安定になることの原因は寝不足でしたが、
段取りの悪さからアパートに戻っても、
疲れて夕食を作ったり食べることがだんだん面倒になり、
甘いものやくちたありの良いもので済ませて寝てしまうという、
今の私からしたら一番陥りたくないパターンでした。
結局軽いうつのようなまま仕事をしていた時期があります。
後から振り返ってみればの話です。
そのときはそんな風な状態に陥っているとは思っていませんでした。
そんな状態でよく生きてきたと思います。
今はインターネットがあり、
懇切丁寧な説明をしてくれているHPやYOUTUBEあり、
わからなくても手を伸ばせばすぐに情報が手に入ります。
とても幸せな時代です。