心屋智子さんが餃子の反乱(?)をブログで紹介していました。
二人以上の時は私も手作り餃子派です。
餃子を焼くときにはしっかりそばにいて中に火が通ったか確認しないと、
残念なことになります。
さて智子さんが料理の際使用していたフライパンがアサヒ軽金属さんの品。
元従業員の方がフライパンの状態を素早く算定し、
再加工するほうが良いとのコメントを寄せていました。
フライパン再加工してもらえるんだ。
「フライパンの再加工」という言葉から一つ悲しい記憶が呼び起こされてしまいました。
両親はどちらも料理好き。
父は自分勝手な男の料理。
母は季節ごとにどうだ美味しいの作ったぞ的な。
そんな状態ですから思い出のフライパンがたくさんありました。
でも最近のフライパンは何年かすると滑りが悪くなってお料理も楽しくない。
母が亡くなってからも大事にしていたフライパンをある時粗大ごみに出すことになりました。
その日はなぜか従業員の人もお手伝いに加わり食器やいろいろトラックの上に、
バケツリレーのように物がどんどこ運ばれていました。
そのときです。
母が生存しているときから父のなんとか(二号)みたいにふるまっていた事務の女性が、
母のフライパンをにこやかにトラックの荷台に万歳をするように放りなげました。
(放物線を描いて落ちたともいう。)
普通静かに手渡していくでしょ!!
私があっけにとらわれていても満面の笑みです。
怒ればよかったのでしょうか?
そんなことするはずの人に頼まなければよかったのでしょうか?
(呆然するというか悲しかったし怒りたかったけどこういう時ほど身体が動かない)
満面の笑みだけど共有できるほのぼのとしたものでなく勝ち誇って目の前にいる人間を排除する笑み。
(ずいぶん前の朝ドラで木村みどりこさんが演じた独身小姑が見せた表情そのものでした。)
あの時はその人(事務の女性)は自分が一番父に愛されている存在であり、
邪魔ものがいなくなったからもうこれで自分の天下であるというメッセージに私は受け取りました。(仕事場以外にも浸食するぞ、ハイはじめで戦いは始まったのでした。)
どんだけ自分の居場所がないんだ私。
仕事をして子育てもして家事も頑張ってしているのにと目の前が真っ暗になったことを思い出します。
現在の父がその後その人をいかに判断したかは今の父がどこにいるかを見ればわかるのですが、
(60歳の誕生日の時にそのお人は感冒と称して父の診察を受けに直談判にまいりました。医者とか余計なお金とか背景(大きな権力はないけど地元では力を上手く利用する人はする)があると人生めんどくさいよねー)
綺麗でスタイルが良くて頭が良くて息子さんもハンサム可愛い孫も地元に友達沢山いるのに。
他の方にはやさしい人でも立場が変われば私にとってはおにばばあ。
私もその人の鏡なのですから誰かにとって私はおにばばあ。
*おにばばあより*
アサヒ軽金属のフライパンや鍋(特定の種類に限られるみたいですが)は再加工することができるそうです。
長年使ってきた道具は自分の分身でもあります。
もし朝日軽金属の調理道具をお持ちの方で現在少しくたびれてきている道具に愛着のある方は是非ご活用ください。