自分への愛情のかけ方

生活の知恵的な体調管理

家に帰るんだの巻

今日は少し風も落ち着いて二日ぶりに父の待つ病院へ行きました。

 

昨日の午後、今日の午前と「いつこっちへ来るんだ。」と、

催促の電話が鳴り響きました。

 

やっと年末の休みに入り、

気が抜けて疲れがどっと出て眠くて仕方ないところへの電話でした。

 

仕方なく帰郷していた息子と向かいました。

 

つくと「待ってた。」的に、

ダウンを着始めます。

 

「お父さん、年末年始はうちに帰るのは大変だから、

こちらにくるよ。」

 

「何だって、俺は帰るんだ。」

 

せっかくおせちの材料の黒豆や、田作りや、なんやらかんやらタッパーにつめてもっていったのに、

頭に血が上ります。

 

「俺はわかってる。

 

俺は見捨てられたんだ。

 

いいさ、お前の気持ちはわかってる。」と

 

今までに見せたことのない爽やかな笑顔でひどいことを物申します。

 

こういうところが父が最高にいじわるなところです。

 

外面はいいのに、

外の人にはその爽やかな笑顔でやさしい言葉をかけるのに。

 

 

家族にはわがまま言うだけ言って、

 

思い通りにならなければ相手を非難。

 

俺はかわいそうな立場なんだと外部へ主張。

 

最後の最後に相手を認めることをしません。

 

心が通いません。

 

男兄弟ばかりの長男。

 

イエスマンの弟分しか信用しないのです。

 

その弟分に体よく利用されることばかりの人生であったはずなのに。

 

 

若いころに家族を大切にしてきましたか?

 

母の前で少しでも料理の腕前をほめてあげたことがありましたか?

 

キャーキャー盛り上げが上手な従業員と楽しい時間を過ごしていたのではなかったのですか?

 

家族への要求はすべて通ることが前提。

 

家族がぽろぽろ欠けるように少なくなり、

小さい子供抱えながら何とか生きていかなくてはという時にも、

同じような摩擦がありました。

 

父は自由に生きたかったのです。

 

まとわりつく女子供は邪魔で、

気分良くさせてくれるところにいたかった。

(その彼女は機が熟すの安心して待っていました。

いつもいつも勝ち誇った笑顔をしてきました。)

 

だけどできなかった。

 

家族を邪見に扱うことで憂さを晴らしていたのだと思います。

 

いろいろなことが思い出されて、

あとお花畑状態の父になんか負けるものかと思いながら帰りました。

 

いくら憎たらしくても生きていてほしいです。

安全なところで過ごしいてほしいです。

 

家族のわがままかもしれません。