自分への愛情のかけ方

生活の知恵的な体調管理

わがまま、文句が出るのは元気な証拠

どんどん元気になっている父です。

 

どんどんわがままになってきています。

 

リハビリ病院と違い治療に専念する病院です。

 

看護婦さんは忙しく効率的に処置をされ無駄話はできません。

 

まだ炎症反応がありお風呂にも入れません。

 

「おい、今日車に乗せて家に連れていってくれ。」

「ふろにもはいっていないんだ。」

「1000円札あるか、それでタバコ買ってきてくれ。」

 

まあ、着くや否やいいまくります。

うまく起き上がれない状態なのをいいことに、

ふんふんと話だけ聞いて帰ります。

 

リハビリ病院に転院できるくらい元気になったら、

移動ちゅうのタクシー内で一服できるように計らうことを約束しました。

 

でもそんな約束も明日まで覚えているかどうかという状態。

 

父は自分がその立場にならないとわからないある意味では、

恵まれてた人なのです。

 

娘の夫が亡くなったときも平然としていたし。

何やかやと言葉をかけることははなから無理だし。

耐えてやっと人の気持ちがわかるようになったのだから。

 

冷たいかもしれないけれどここはきっちり頑張ってもらわばければ外出できません。

 

当たり前のように思えても懇願度が高くなるとどうなるかわからないので、

今日は懇願中でしたが身を乗り出して帰りたがってしまっていると、

看護師さんにバトンタッチしました。

 

以前にも書きました。

大黒柱であった人が認知症になり、

その支配権をにぎったまま認知症が進行してしまうと、

配下の家族は巻き込まれて大変なことになります。

 

外から見たら冷たいと思われてしまいますが、

言いたいことは言わせてあげるけれど、

いままでの権力構造はいったんチャラにして、

家族が幸せに向かう方向へ舵を切らなければなりません。

まだ父の場合はまだらですけれど、

意思の疎通があるので(いい場合も悪い場合もありますが)、

最後には笑い話にすることもできます。

 

生きていても仕方ないなんてほざいたりしていても、

具合が悪くなったら必死に治そうとしているところを見ている私です。

甘えていい部分と悪い部分くらい認知症になってもわかってくれるような病気であればいいのに。

元気になってきた証拠だと考えを切り替えました。