自分への愛情のかけ方

生活の知恵的な体調管理

足裏マッサージ

先日私自身がこけてる時に、

時を同じくして父が脳梗塞の再発作を起こしました。

(親子でなんやねんと言いたいです。)

 

従業員の人に急遽転院手続きをお願いして、

私は体調を回復せんがためにコンコンと眠りました。

 

さて父のトラブルは、

発熱なしの誤嚥性肺炎と脳梗塞

 

リハ病院での食事管理ですぐにはへこたれないはずですが、

食事を飲み込めなくなってきていること、

食事中傾眠がちであったことなど夏の暑さはエアコンが効いた院内でも起こっていたのでした。

 

昨日から病室で父にあることをし始めました。

意識があるときはすぐ嫌な顔をして拒否されていたので、

むくみや冷えがあってもできなかったことです。

理学療法士さんのマッサージは素直に受けていたのにです)

 

足裏のマッサージ。

 

元気な人でも疲れを取るためにしてもらうと気持ちがいいですよね?

 

 

父は昔の古ーい外科医。

自分の信ずることしか受け入れません。

父が帰ってきた当時、

感染症に劇的に効果があった抗生剤を地元で使うことでとても助けてもらったんだという話を昔からの患者さんに聞いたことがありました。

時代時代でその時はとても役に立った抗生剤。

 

私が帰ってきた頃には、

使いすぎると抵抗性のある細菌が増えるのだと伝えても、

父を信望する母にはなかなかわかってもらえませんでした。

父は医師会での勉強会でとりあえず使い方は気をつけていました。

 

自分はされてきて悔しかったはずなのに、

男尊女卑を空気のように行動として表す母には、

私の立ち位置をなかなかわかってはもらえませんでした。

 

家のためには医師は必要だけれども、

自分よりも知識が豊富で、お給料も良い女の医師(娘の医師の姿)を見るのは嫌だったのです。

癌になりお世話になった先生のことを褒めまくり最後には娘のことを貶す母。

介護をしても看護婦さんのようにいかない私を貶す母。

私はお母さんのことが大好きだったのに、

大嫌いになっていきました。

病気がさせてくれいるのだと思いましたが、

仕事があった私は知り合いの方に母の介護をお願いしました。

全部完璧にはできないし、母は私の顔を見ると早く家に帰って仕事をしてとばかり言って介護らしい介護や心を通わす時間がもてませんでした。

なぜうちは他の家族のように気持ちのやりとりがうまくいかないのだろうかと思いました。

 

医師としての役割の私は認めるけど、

娘として結婚して子供を産んでまではいいけど、

自分はまたこの娘の下支えにならなければならないのかという悲しさというか、

娘の物分かりの悪さとかここまでお膳立てしたことへの感謝のなさとかを怒っていたのかもしれません。

看護婦時代の友人が母の死後数年以上経ってから、

突然私の悪口を母が言っていたと伝えてきたことなど知らない母の姿を見つけた時は、

この家は役割を演じることに注力して、

自分の本当の気持ちを伝え合う家族という形はなしていなかったのだなと思いました。

 

祖父母はよくケンカをしたそうです。

父は母に結婚するときに、子供の前ではケンカをしないようにしようと言ったそうです。

感情を伝えあえず、表面的なにこやかさだけの空虚な家族であったのだと思います。

でもそんな家でも大きくなれたー。

 

もういつ逝くかわからない父ですが、

感情的な面ではネガティブな対応ばかりで、

(患者さんに笑顔をふりまきすぎて疲れて家族には出来なかった?)

いい思いでは少ないですが産んでくれただけでもありがとうという気持ちを伝えるためにも、意識が少し落ちた時ぐらいにしか出来ないマッサージやることにしました。

 

娘らしいことがあまり出来てこなかったですけど、

足を触ると一応動かして体でまたやめろといってきますが無視してやりつづけます。

治療はしているけど動かしていない関節や手足の末端は冷たいです。

いった時だけでも血流良くなれーと理学療法士さんのマッサージは素直に受けていた父にしていこうと思いました。

 

 

 

 

 

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