自分への愛情のかけ方

生活の知恵的な体調管理

コミュニケーションのこつ

50の手習いというよりは長年コンプレックスのもとであり続けた英語の勉強をしています。

 

先日その勉強会に参加した際にこの年になってやっと理解できたことがありました。

英語の前にコミュニケーションなんだよと。

語学はコミュニケーションの手段である事を忘れてはいけませんと、

勉強の順番では手段のスキルを磨くことだけに固執しないよう注意をいただきました。

 

あと個人的な指導で私自身のコミュニケーションのあり方が、

とんでもなく方向違いであったということも指摘していただけました。

 

会話がキャッチボールであるべきなのにドッチボールになっているということです。

伝えたたいことはあるけどそれが強すぎて暴走族的になってしまっているそうです。

蛋白質のことだけ叫んでいるように見えてしまっていると、

本当はそれだけではないはずなのに。

健康で元気に長生きしてほしいというお母さん的な視点が隠れているのに伝わっていないと指摘を受けました。

(はい、怖いーと言われています。)

伝えたい気持ちがありすぎて自分が自分がでとおしてしまうため、

相手の意向を受け取る事ができていませんでした。

タンパク質ババアになっていました。

タンパク質食べるんだ―と暴走族なみにブルンブルンしてたわけです。

もう少しチヤリンコぐらいのスピードでやさしくありなさいよと懇切丁寧に指導していただきました。

 

SNSでは相手の顔が見えないから、

文章だけで交流しようとする際に相手の気持ちになって、

相手がどのような悩みをもっているのか、

相手の調べたいことは何なのかと考えなければいけないといわれつづけてきました。

 

頭ではわかっても今一つ現実に落とし込めないまま来ていました。

(このブログもその通り、自分のかきたい事しかかけていません)

このブログのほかにオウンドメディアを一つもっていますが、

グーグル検索に引っかかるような記事はとてもとても書くことはできておらず、

こちらの記事をコピペしている有様です。

 

英語の勉強のつもりでしたが、

自分のコミュニケーション下手と家族内でうまく交流できていなかった事実があぶり出されてしまいました。

 

父との会話はもろドッチボールでした。

忙しく疲れているから子供の話しなんてお構いなし。

とにかく言いたい事を言ってはい終わり。

車で1時間かかる町に家族で買い出しに行く時は、

女子供の買い物は帰る前の30分と決められ、

食事も早く出てくるお店で早く食べて早く帰るという無味乾燥の行事に成り果てていました。

道も悪く不便だったのです。

 

しょうがないです。

私も地元ではやはり買い物はしづらいです。

男の自分一人だけ診療所の責任を背負わされ、

はたらかない女子供はいいなくらいに思っていたのではないかと思います。

 

いまさらですが相手の要望をまず聞いてそれだけに答えるという方式に変えていこうと思います。

自分なりに行なっているつもりでしたが全然だめでしたね。

 

お節介おばさん=花咲じじい状態の情報発信では、

伝えたいことを本当に必要としている人に伝えることができません。

そういえば国語の漢字練習は好きでしたが、

読み取りは苦手でした。

遅まきですが自分なりに文系の勉強もしていこうと思います。