先日とても有名な夢実現を指導する原田先生のお話しを聞く機会がありました。
大阪の環境があまり良いとは言えない中学の陸上部を日本一に導いた方です。
その方法が評価され大企業や今人気の野球選手とのつながりがある事も知りました。
ガラスの天井がある世間への一撃としてはとても良い方法です。
ただこの方法が社会的超弱者を救うために行われていたことはあまりご存知ない方も多いと思います。
同じ地域の金持はほかの中学に行けるのに俺たちはいけないと入学式にくる劣等感まみれの子供たちをどうしても助けたいという強い気持ちが底辺にありました。
原田先生が愛情をたっぷり注ぎこまれてきたことを感じました。
大阪は選択の余地があります。
とんでもないお金もちも存在するでしょう。
中学の陸上部の活動ではなく日本一によって将来を約束されるコースへの特急券として部活動を認識して中学生にしてプロのあり方を指導されていました。
そのプロのあり方はそんじょそこらの部活動とは雲泥の差が出てきます。
そして確実にその目的には到達する手法でした。
「そうかこの方法で部活動が重視される学生生活になったのだ。」と遅すぎましたが気が付きました。
息子が中学生の時に強く感じました。
原田先生も公立の中学の先生でした。
一生懸命な先生ほど実際に(社会的に)困っている人にしか手を差し述べることができないのです。
そうしないとその子がおぼれてしまうから。
先生も疲弊してしまいます。
グレーゾーンは手を付けないのです。
自助努力するしかありません。
私の息子はその中途半端な部類に属していました。
母子家庭ですがお金には困っていません。
先生が可愛がり救済していた相手の子供さんに毎日相当やられていました。
中3の時は毎日からかわれ暴力も振るわれました。
暴力を振るわれた時学校の先生は(校長先生、教頭先生、養護の先生が対応、担任は出張中。)頭部CTを取りに行き問題なしと事をおさめさせました。
私は泣いていたので何ともなりません。
(**頭部打撲:その時だけCTを取って安心ではないのです。24時間は傍らに誰かいて意識消失などの有無を見ていなければならないです。また数か月後に血腫ができてしまうこともあります。頭部打撲は急性期と慢性期と二つ経過観察しなければなりません)
医者でも男でなければ目の上のたん瘤および面倒な存在なのです。
コミュニケーションのなさが原因であったと思いますが、
仕事大事でやっていたのだけなのに、何も威張りくさっていたわけではないのに、
自分の心の鏡が周りに映し出されたいたのだと言われればぐうの音も出ません。
息子の同級生は卒業式の前日になって初めてそのいじめていた子に対していい加減にやめろといったそうです。
私の息子をいじめた子ら、傍観してた周りの同級生は私は今でも大っ嫌いです。
仕事ではその同級生の家族を相手にしています。(公私は分けました)
何事もなかったかのようにみえた場合は満面の笑みで対応しています。(大人ですから)
むしろどうだといわんばかりに見えることがある時期多かったです。
なぜこちらを打ち負かさなければならないのですか?
何か悪いことしましたか?
私は仕事で地元を守ってきたつもりでいましたよ。
だからあの時のあなたが先生になられるのですねと見つめ返します。
いじめられた時にどうすれば相手を侮蔑できるかの方法を歴史漫画本から拾い上げ実行してしまった単純バカな息子です。
(悪口を言われからかわれた際につばを投げつけたという!!弱いのにさらにいじわるされてしまうことを考えずに行動する馬鹿者です)
家庭では母が仕事で忙しく当時受けていたいじめのことも事後報告で予防することができませんでした。(本人からは一切情報提供なし)
みんな苦しくても運動部で頑張っているところ、
(それこそ原田コースに乗っ取っての毎日厳しい練習、プロへの道なのです)
息子は一人文化部。
それがいじめの原因なのかもしれないし、
医者の息子だということもいじめの原因であったかもしれません。
お金がある程度あると田舎では悪という烙印の色眼鏡で見られてしまいます。
子供が初めからそう思うのではありません。
その家庭の会話の中でこちら側を悪とする会話が流れていなければ思いません。
必ず運動部に入ればいじめが待っている田舎の環境。
私が運動部入りを避けていました。
予防対策を講じたつもりでいました。
(現在生きているので死は回避しました。)
同じ小学校でも高学年になるといじめがあったのに、
数か所の地域が合併してなる中学では風評被害もどきだけで目を付けられると思いました。
(心配しすぎてそのイメージで具現化したんだよとスピ系の方に今だったら指摘されてしまうのかもしれません)
地元の運動指導者への信頼を持つことができませんでした。
偏見持ちすぎかもしれませんが、
子供が小さいときの運動会や季節の行事の時に見かけてしまったいろいろ。
自分の身うちには親切は当たり前だけれども、
むかしの恨みを子供に晴らすという情けない大人の姿を何度となくみてきていたからです。(田舎だからこその行為なのかもしれません)
自分の子供にはいいお父さんなのです。
でも片親であったり環境が恵まれていない存在へは平気でからかい、
ふざけつつおやつを取るお父さん。(相手はまだ未就学児)
悪ふざけに過ぎないのかもしれませんが私はこういうことを影でする大人もいるのだとしっかり心に刻み付けました。
いじめたほうは忘れてもいじめられた方はわすれません。
だから安易に弱い立場の人をからかい、トラブルを招く行為には、
目が留まり被害が及ばない範囲で事を中断しようとする傾向があります。
今となってはそれが災いしたのかもしれません。
美術の時に書いたナイフの絵がきっかけで、
高校受験前にADHD判定の試験を受けてみないかと(すべてのトラブルのもとはここにありという勢いで)おすすめされたのも、
学校に協力的でない家庭の場合は心からの頑張れの声掛けでなく、
自分たちの仕事の範囲外におしやろうとする感じを受けました。
(その先生方からしたらモンスターマザーだったのかもしれません)
助けてほしいからこそSOSたくさん出したのに届きませんでした。
その美術の担任の先生は目と口が描かれていない中学生をたくさん描かれた絵で賞をもらっていました。
今日はなんだか雨続きで思いだしたり考えていたこと書きました。
人生勝ち組になるための原田先生方式を素直に受け入れることができない負け犬の遠吠えでした。