何だか宗教くさい題名になってきていますが、あしからず。
昨日自宅に帰ってからの行動はまず茶の間の整理整頓。
事が生じた際に人の出入りが起こっても大丈夫にしておかなければと、
先々を読んで行動する悪い癖が出てしまいました。
年老いた親が先に逝くのは普通のことなのですが、
離れていてもお花畑であってもやはり大事な存在なのです。
今日も午後から病院に向かいました。
いつも以上に青空や草花が綺麗に見えました。
自然は物言わず一年ごとの生死を繰り返して同じ風景を示してくれています。
今日も点滴は継続状態でしたが、
問いかけにはまともに返答することができていました。
食事もとれないと目をつぶりながら憤慨までしています。
気を付けて水を飲むようにしていたとまで発言する状態。(ほんとうかなー)
病院にいたからこその命。
いろいろ検査をしては見たけれど軽い炎症がある程度で救急外来に紹介をするまでに至らないと担当の看護師さんから説明を受けました。
自宅では情けないけど本人のわがままも相まってスムーズな治療ができるとは限りません。
文句をいう元気な証拠の口調を聞いて帰りました。
ズドーンと身体の回りを覆っていた重い空気が少しだけ軽くなり、
綺麗な雲や草花をいつも以上にツイッターに上げまくりました。
わたしのツイッターはコメントなしの綺麗だったよ―的なおすそ分け画像です。
以前地元の漁協さんに夕方になると出かけていたお母さんが良く言っていいました。
「一日として同じ雲や空はなくてどれもすごくきれいで、見ていると幸せになる。」
漁協に行くまでリヤカーに白箱をのせて向かいます。
その間空を見上げて空の様子を眺めながら歩くのです。
人生長いようで短くていつも楽しいことばかりではないけれど、
ささやかな幸せ、自分が楽しくなるような切り口や視点を常に意識して生きていると、
一日を大切に生きることができるのではないかと思います。
考えてみると周りが自然豊かなところでは仕事で大変な時期もなんとか過ごせました。
古い病院で中庭があり手入れがあまり行き届いていないがための雑草の草花が競い合って咲いていて、好きな花が咲き始めたときはその花に会うために通えていた感もあります。
病院の中に殆んど缶詰で周りは人工物だらけの時は、
はっきり言って抑うつ状態になっていたと思われます(汗)。
忙しさにかまけてお化粧なしの髪の毛は枝毛だらけ?
何という姿をして患者さんに接していたのでしょう。
自分を幸せにする方法をまず知らなければいけません。
現実対応のことばかりではなく、
心のあり方や気分転換の仕方。
日常の些細なことのとらえ方(よいほうへ)。
そのために必要な誠実な人間関係が基本ありきです。
そんなの知ってるよと言われるあなたは幸せものです。
どうぞ周りのみんなにあなたの幸せを振りまいてあげてください。
一日一日大事にしていきましょう。