今日父の様子を見に行くと耳たぶに何やら機械が取り付けられていました。
いつもなら座ってトイレに座っているか車いすでごそごそしているかの時間帯なのに。
よーくみると足元には点滴も。
本人にいろいろ問いかけますが半開きの目でもにゃもにゃいうだけでらちがあきません。
血中酸素濃度はまずまずなのでバイタルは安定しているのだと判断しました。
昨日までとりあえずは元気で笑ったりいろいろしていたのに再びトラブルです。
担当の看護師さんに今の状態について教えてもらいました。
今日のお昼がいつもより食欲の低下が目立ったこと。
足のむくみがひどいこと。
尿量が少なめであったことなどから、
脱水が進んでいたためと診断し治療開始したとのお話しでした。
お菓子(シュークリームやヨーグルト)を中途半端な時間帯にあげて空腹感なく食事に向かわせてしまっていたかもしれません。
その日その日どんなものを口にするかで左右されてきてしまう蝋燭のともしびのような命。
言葉を発してくれるだけでもありがたいのだと思いました。
いやでも父の人生についてふり返ってしまいます。
絵描きになりたいといったら蔵に閉じ込められて医者になるという間で出してもらえなかったこと。
卵焼きを弁当に詰めていくといじわるな連中に必ず取られたり、悪さを仕掛けられたビビりの少年時代。(両親は忙しくて子供の世界までは気がまわらない鈍感人間)
父親がとても恐ろしいくらい怖い人であったということ。(先日言葉にしたばかりの事実発覚)
金持ちは嫌な奴の役割通りの看板を付けられて周囲からは対応されたこと。
(みんなそれぞれ嫌なこといいことあるんだよといいたい!!特に地元の学校の先生や地元の権力者?)
大学に行ってやっと自分らしく自由に生きることができたこと。
(戦後食券食堂で食べたさんまやいわしの美味しかった事何度聞かされたことか)
家庭でコミュニケーションを学ぶ前に役割をこなすための人生。
医者になればその仕事と立場を利用せんがために近づく人から逃れるように釣りにドライブに写真に子供そっちのけで一人の時間を楽しんだこと。
(相手を籠絡するくらいの大人でもなかった事実(悲))
なんでもいうことを聞く人が自分にとって良い人であるとの認識で、
立ち回り軽やかになんでもイエスマンのプロパ―さんにわがまま言いすぎて恨みをかったのか薬を何年もの間横流しされていたこと。(雲仙マンエンレベルの被害)
会計管理も医院と自宅でのすり合わせが行われていませんでした。(プロパーさんと親しくなった従業員はその人の悪行をつゆほども疑っていませんし、
母が亡くなって会計の処理も初心者であった私は何も知らないまま何年もすぎてしまっていたのです。)
全体を見ることのできないはずの人が全体を仕切るようなシステムに成り果てていたのですが、父はもう自分がそこにあればいいという体で存在するだけがやっとというかどうにでもなれと思っていたような気がします。
自由を求めていましたから拡大路線ははなから頭にはありません。
手厚い保護のもとに人生においてうわべの仕事は頑張って来たけど私からみると楽しそうに見えない父。
ある時私は後悔していないかどうか今から何かしたいことはないか聞きました。
すると、
「好きな釣りを好きなだけできたから幸せだった。」と言い切りました。
仕事ではなく趣味。まあいいか。
小さいころ川の字になって寝ていた時のことを思い出しました。
夜中寝ていると電話がなり母が「往診おねがいします。」と言ってきました。
生真面目な母を睨みつけるようにして起きて往診に行く父を患者さんが困っているのにと母の味方ばかりしていた私です。
今であれば父の気持ちがわかります。
時間外に往診に行くことは美徳のように聞こえます。
もちろん苦しい困っている人を助けることは大切です。
それこそ地元に帰ってきた当時私は事務の指示通り往診に出かけ生真面目に仕事を遂行していました。
自分の仕事場なのに事務の指示が優先され往診ばかりの時が続いたとき、
なんだかおかしいよと思いました。
事務の人は病状把握して往診を受けるのではな電話が来たらくくるものすべて受けていました。
そこから私は水飲んでください作戦で戦うことになります。
相手に合わせすぎて治療はしても健康についての教育をしていなかったことが原因です。
相手の人はどんな生活をしているのかの確認までおよばず、
(酒の飲みすぎ、糖尿病ならどこかで食べてるからこその高血糖程度?)
その場限りの対応が治療とみなされていた時代。
高度成長期みなさん無理はしています。
具合が相当悪くなってしまってからでは遅いのです。
治療と同時に一人一人の健康に関する意識を高めていかないと自分の首を絞めることにつながるのです。
だから必要であるだろう情報を流すことはとても大切です。
ここでいつも叫ぶ水分と栄養、自己管理が出てきてしまうのです。
半分お花畑状態でも幸せであったといい切れたのですから、
少しだけ安心したのを覚えています。
でももっと元気なうちに素直に関われていたらよかったよね。
病気になってから初めて聞く気持ちがたくさんあったし、
鎧カブト刀にたくさんガードしすぎじゃん。
多分これは祖父の姿そのまま。
祖父は祖父で実母との別れやら妻との死別やら苦労の連続の鏡のような人でした。
もうこの家の不毛な生き方のつながりは終わりにしたいです。
地元だけに縛られて生きることだけが真実ではありません。
インターネットという文明の利器があり、
既に若い人達を先頭に自由に生きている人達がたくさん存在します。
いろいろな生き方があるのに、
自分でどんどん興味の範囲を狭くするような人生をまず断ち切らないといけません。
自分の自由な時間を作り出しましょう。
スマホを持つことでどこにいてもいろいろな世界とつながることができます。
本当に別世界に直につながることが可能な時代です。
何歳になっても自由でいたいのであれば、
時代の変化にできるだけついていこうとする努力を惜しまずに、
自分の心の声をキチンと聞くことのできる余裕を持つことが大切です。
あと体調管理、体力の現状維持も大切です。
いくつになっても忙しいのです。
みんなひとりひとり自分の人生を大切にしていきましょう。^-^