今日は5時過ぎに病院につきました。
ナースステーションに例の彼女と仲良く並んでいる父がいました。
BOSSのカフェオレを今日も飲んでもらうためにしばしの別れ。
缶コーヒーを見せると蓋を開けろとの指示。
むせもなくしっかりと味わうように飲みほしてくれました。
腸内細菌を改善すると歌っている飲料水も提示してみましたがそれはいらないとのこと。
飲んだ後はさっと彼女のもとへとお帰りです。
ベッドサイドに今日の新聞を置きに行ったところ、
リハビリの時にみんなで歌う歌詞の印刷物がありました。
男はつらいよと365歩のマーチです。
フーテンのトラさんの男はつらいよの歌詞の中に、
男だけではなく女でも一度どん底に落ちた人なら心に響く一節がありました。
「・・・どぶに落ちても根のある奴はいつかは蓮の花と咲く。
意地は張っても心の中じゃ泣いているんだ兄さんは。
目方でおとこが売れるならこんな苦労も、こんな苦労もかけまいに、かけまいに。
男とゆうものつらいもの、顔で笑って顔で笑って腹で泣く腹で泣く。」
365歩のマーチもメロディは聞いたことはありますがキチンと歌詞を読んだことがありませんでした。
一番は定番なので皆さんご存知だと思います。
2番:幸せの扉は狭い だからしゃがんで通るのね 百日百歩 千日千歩
ままになる日もならぬ日も
人生は ワンツーパンチ 明日の明日はまた明日
あなたはいつも新しい希望の虹を抱いている
3番:幸せの隣にいてもわからない日もあるんだね
一年365日 一歩違いでにがしても
人生はワンツーパンチ
歩みを止めずに夢見よう
千里のみちも一歩から
始まることを信じよう
物忘れがあってもなんとなく空しか覗いてないように見える表情でも、
見慣れた顔になってくると微妙にこちらを観察して、
挨拶をしてきてくれます。
全部元の通りではないけれど、
壊れていく身体の中の心はまだ通じるものが残っていて、
この世の物差しではないその人達の視線はとても優しく、温かみにあふれていて、
最初に感じた(食堂に静かに並べられた人形のように感じたこと)違和感は、
とっくの昔に消えていました。
昔昔、特老に往診に行くといつも幸せな気分になって帰ることができていたことを思い出しました。
おばあちゃんたちの自然な笑顔がとても素敵だったのです。
病院の外は元気な人達の戦場ですが、
病院の中は厚い壁に守られたお城です。
お城の中で世の慣わしから隔絶されているためか、
良い心の状態でいられることができます。
お互いに助け合おうとする気持ちがデフォルトになります。
身体が自由にならないぶん心が強くなるのかもしれません。
また綺麗になるのかもしれません。
少しあちらにちかつくためなのか心が綺麗に素直になっていく人達を介護している方たちも若いながらにとても優しく暖かな方たちばかりです。
介護を仕事にする方の本当の姿だと思います。
暖かい見守りの中に父がいることをありがたいと思いました。