自分への愛情のかけ方

生活の知恵的な体調管理

反応しない練習での思いだし

 

 

 

先日、感情的になりがちで、

意識のニュートラル状態の維持が難しいと書きました。

 

反応しない練習という本を読み進めていくにつれて、

いかに感情にまた、他人軸の物差しに振り回されて、

ストレスを自ら作り出しては、落ち込むことを繰り返していた時期を思い出しては、苦笑いしていました。

(笑えるようになったのです。えらい、えらいのです。)

 

一番感情的に揺れたのは、

長男の高校受験の失敗のときでした。

 

受験自体は失敗するであろうけれど、

一度受けてみてと心構えはできていました。

 

でもそのあとに待ち構えていたのが、

自分ではそれほど相手に対してストレスを与えていたつもりではなかったけど、実はそうじゃなかったPTAのママ友の行動でした。

 

そのママ友は何かと気を使ってくれた人でした。

空気を読まない私がどこかでへまをやったのでしょう。

 

わが家の長男とは異なり、

彼女の息子さんは1を聞けば10答える秀才。

見事目指したところに合格です。

さすがだなーと思っていた矢先。

 

仕事が終わって一時間ほど過ぎたころに、彼女の訪問がありました。

 

玄関先に何か取り出し、

巻紙を置くようにびらっとみせられたのは、

入学時必要な母子手帳に記載されている予防接種がなされているかどうか確認の書類でした。

 

満面の笑みで、「うちのこきちんと済ませていたと思うけど、

どんな風に書けばいいかわからなくて。」といらっしゃいました。

 

医院のほうに訪ねてくるのではなく、自宅の玄関に。

 

その書類はもちろん(汗)、うちの子が落ちた高校からのもの。

 

こんな風景も起こり得るのだなーと、

仕事が終わり、帰り際でこちらに来る従業員の人に、

急きょバトンタッチして助けてもらいました。

 (これ二人だけだったらきつかったなー。)

それに私は詳細はわからないからです。

担当してる人に聞いてとさよならしました。

 

平時は仲良くしてくれている人でも、

時と場所が異なればこのように相手に突くようなこともしてくるのだと思いました。

傷口に塩塗り込む行為です。

勝てば官軍だものね。

そんな私や息子がにくかったのかい?と落ち込みました。

 

これもすべてあるべき姿でなければいけないと、

息子に強要してきた私自身が気持ちも何も打ち砕かれた瞬間でした。

 

自分が親にされてきたことを正しいと思いこみ、

深く考えることなく同じようにしてきたことの結末。

 

息子は私と違って、自分の好きな方へ。

私に従うふりをしながらこのあと6年間ほとんどいうこと聞かない時を過ごすのです。

 

リアクションの人生のむなしさ。

うまく進んでいるときはいいのですが、

うまくいかないときはなぜなのかわからないことが多発します。

 

自分が選んで進んだ道であれば、

失敗は成功のもととして素直にうけとめ、

マイペースで進むことができます。

 

あるところまでリアクション人生できてしまったがために、

息子を巻き添えにしてしまった。

 

夫がなくなったときは子育てが眼隠してしてくれたけど、

この時は目隠しも何にもなくてほんと落ち込みました。

 

感情の取り扱い、ネガティブな反応がどこから引き出されてしまうのか、その大元の原因をしっかり感情を味わいつつも、受け止めていくしか同じように振り回されてしまう。

 

もういい加減やめたいのでやめます。

 (この本は浄化作用もあります。)