独身時代に胸をときめかせたC・W・二コルさん。
「風を見た少年」のような一般受けするものでない自伝風の作品が大好きでいつも小脇に抱えていました。
つまみ食い常習の同僚を懲らしめるために、
動物のフンをチョコレートでコーティングしていたずらしたり、
自分のやりたいことの資金集めに、
プロレスラーになったりするお話しがとても大好きでした。
その当時(今から振り返ると)、
あまり自分の感情や感覚よりも軍隊方式のやらねばせねばの感情よりも現実の生活を必死に生きていたため、
自分の感性を信じて自由に人生を生きている姿にあこがれていたのだと思います。
C・W・ニコルさんのおじいさんに、いじめられっ子で悩んでいた時の質問がいつまでも心に残りました。
「なぜ僕は僕なの?」
「お前にしかできないことが、あるからだよ。」
こんな内容であったと思いますが、
私の身の回りでは表面的なやり取りしかない日常において、
こんなに哲学的に将来に希望が持てるような物言いをする人間
が一般人として存在することに驚きましたし、
私自身も胸に留め置きました。
むかしから病気は気からという言葉があるように、
気持ちをないがしろにしていると、
知らないうちに病魔が襲ってきます。
心の病気はもとより、
目の前の現実にこたえることばかり優先して自分の心をみつめ
る余裕がなかったり、
そんなこんなで食事や水分補給や運動なども仕事優先になって必要量をとることができなくなります。
一日のうちのほんの数分でもいいので、
今はやりのマインドフルネスによる瞑想をおこなったり、
美味しいお茶をフルーツジュースを飲んでみたしながら、
今現在の自分の身体を確認してみてほしいです。
以前にも書いた、自分だけは大丈夫という前提が意識に上らない状態で設定されています。
本当に自分は今大丈夫なのか?
イライラしていることの原因?
直接的には〇〇だけど、昔体験したときの△△とパターンが似ているなとか、
わからなければわからなくてもかまいません。
いつかは必ずわかるようになるから。
感情は昔経験したことからの注意の呼びかけであって、
今現在生じていることから受けていることではないのです。
目の前で起こっていることは、本当はニュートラル。
今はこのような考え方がスピ系でもビジネス系でもそのようにある事が必要とされて広がり多くの人がご存知ですが、
もう30年以上も前に上京して偶然購入したウェインダイヤーさ
んの「なんとかゾーンを越えて」(たぶんこんな題名)を読
んで確かにその時はすごい魔法の手段を手に入れたと喜び勇ん
だはずでした。
人生は自分の気持ちの在り方次第でどのようにもなれるということを知り、
大感激していつも苦労話を聞かせてくれる伯母に手渡した記憶があります。
しかし その時からはや30年。
失敗だらけの人生です。
知識はあっても理解できずに来たわけです。
だからこそ意識の在り方、目の前の事実に対する考え方を感情の赴くままに表現していくことをどうにかしないとドンドントラブルの芽を自分でまき散らしていくことになります。
そのトラブルあって成長もありなのかもしれませんが、
もういい加減成長したいです。
もう失敗という肥しは私には十分です。
そのためにも日頃から自分の感情の変化や、
自分がどんな時に楽しく、嬉しく感じられるかなど、
気分転換のコツを知っておくことが必要になります。
自分で自分のお世話をしてあげるということです。
誰も皇族の方たちのように面倒を見てくれる存在はいません。
自分のことは自分で。
一般的な身体の調子の悪さはその自分への気配りが少ないことによって生じるストレスから食べ過ぎたり飲みすぎたり、何かに依存しなければならなくなったりなど姿を変えた枝葉であってバリエーションになると思います。
現実だけに目を奪われるのではなく、
人生の流れの一日を大事にするためにもマインドフルネス等の瞑想は理に適っていると思います。
なんだかちょっとスピ系のお話しになりました。
現実でうまく行っている人はそのままでいいのです。
人生の流れでちょっと苦しいところにいる方は是非、
三次元的なものだけでなく、
4次元か5次元か定かではありませんが、
目に見えない自分の心の中を少しだけ見つめて、
空気を入れ替えるように、
現実の重苦しさを吐き出しましょう。(深呼吸)
自分を自分で少しずつ認めてあげましょう。
よく頑張ったってね。