いつもは元気なお父さんが泣きっ面に蜂的な面持ちで見えました。
「何だか痛くてね。」
「どこがですか?」
「足。」
「痛風じゃないかなと思って、我慢しようとしたけどできなかったよ。」
「まあ、それはそれは。」
教科書通りの赤味と腫れです。
でもなんとか歩けます。
「しばらくアルコールはお休みですね。
何かむりしませんでしたか?」
「山の散歩はいつも通りだし、ペンキ塗りしたぐらいかな?」
「ここ2,3日暑かったですけど、お水きちんと飲みながら仕事しました?」
「いいや、あんまりのまなかったなあ。」
「とりあえず、今日はシャワー浴で、アルコールは禁です。」
この方はいつもは優等生。
なぜか、
血液検査の前に節制(禁酒)して見えます。
先日たまたま抜き打ちで祭典後の検査をおこなってみたところ、
それはもう、大したものでした。
大量に飲むときと、節制しているときとメリハリつけているから大丈夫なんだと豪語されています。
でも寄る年波には勝てません。
今までの付けがまわったようおもいます。
自分自身の感覚で大丈夫だから大丈夫という認識が通用するのはせいぜい30代までです。
無茶をすればそれなりに身体のほうも痛みます。
でも、わかっているけどやめられないのが人間です。
だったらどうすればいいのでしょう?
田舎のほとんど隠居状態になった年代の方は、最初は友人との行き来もあり楽しくできるのですが、
それぞれ事情も出てき始めると、
二人暮らし、
独居と引きこもりがちになります。
はなから老人会の役員をするような外交的な性格であればいいのですが、
こんな風になりやすいお父さんは、
若いときに出稼ぎをして家族を養ってきた人が多いです。
居場所であるはずの家が居場所になり切れていない可能性があります。
ですからそこは何とか、
年甲斐がないなんで行ってないで、
出かけたりいろいろな地元の催し物に参加するしかありません。
他はやはりスマホを持つこと。
世界が変わるんだよーといっても耳を傾けてくれるのは50人に一人ぐらいです。
まだまだ安心と思っているうちに準備しなきゃ間に合わないんだよ―――と叫んだ日でした。